俺のブログ〜ナスビ横丁〜

100日後に跳ねてるブログ 執筆中

俺の考え〜言葉への違和感〜

こんにちは。正しい意味を知らないままドヤ顔で難しい言葉を使って恥をかきがちなナスビ丸です。

子どもの頃って、覚えたての言葉をやけに使いたくなりましたよね。四字熟語とか慣用句とか、大人が使っているのを聞いて憧れて使っていた記憶があります。小3の好きな四字熟語が「三寒四温」ってなかなか無いですよね。ちょっと背伸びしてみたい青さは今になっても抜けきってません。

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年齢や立場、思想に応じて使う言葉は変わってくるのだと思います。ここには別に差別的な意味はありません。至極当たり前のことを言っているつもりです。小学生が「早くこの遊びから足を洗いたい」とか言ったら不自然だし、アラサーのオッサンが「ぷいきゅあがんばえー!!」ってアニメ観ながら言ってたらちょっと違和感ありますよね。繰り返しますが、他意はありません。全て私の経験談です。私は違和感の上で生きているのです。

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誰かと話したり、SNSに投稿したり、ブログを書いたりと、日常では言葉を使うことが多いです。しかし、その中でどれだけの言葉を本当の意味を理解して使っているのでしょうか。何の気なしに使う言葉の中身は、実は全く違う意味で捉えられていることもあるかもしれません。

とあることがきっかけで、饒舌多弁な人間よりも、ある意味では黙っている方が利を得ていることもありそこに賢さを感じました。とりわけこの賢さは、相手に提案して改善する為ではなく、自分から触れて傷付かないようにする為のものだとも感じますが、この選択ができること自体が賢さなのだと思います。つまり、すべては自分のための言葉で、それ故に言葉には重たい責任があると考えます。

私たちが暮らすこの国には「流行語」や、「今年の漢字」が存在します。言葉を切り取って1年間何があったのかを振り返る為にあるのだと私は考えていました。その一年を象徴する出来事や流行は、世間的に浸透しやすい言葉として表現できるものです。そうすると、現段階で2020年はどんな言葉で形容されるか考えたときに、おそらく新型ウイルスに関連する言葉が選定されると予想ができます。しかし、それが良いか悪いかという話では無いのですが、おそらく選ばれるであろう「自粛」という言葉に疑問を持ち出したのです。

 

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辞典には、

自粛とは、自らが進んで行いや態度を慎む事

と書かれています。この言葉の意味から考えるに、自らが進んでというところがポイントなのだと感じます。今、自粛を余儀なくされている方や、自治体からの指摘を受けて自粛をしているパチンコ店などの経営者などは、果たして本当の意味での自粛をしているのでしょうか。本来の言葉の意味では、指摘を受けての営業休止などはありえないのではないでしょうか。ここでの自粛には、誰かからの指摘を受けて、不本意ではあるが慎んでそれを受け、やりたい事も制限しますよといったニュアンスが含まれているように感じます。

これについて、私は違和感を抱きました。というより抱いています。新型コロナウイルスの蔓延を1秒でも早く食い止める為には、自分が移らないことと、他人に移さないことが重要です。そうする為にはどうしたら良いのか、自分には何ができるのかを考えると、人に接触する機会を極力避けることに繋がると思うのです。少なくとも私はそう思います。誰が悪いとか正しいという問題なのではなく、どういった心持ちで休業したり、行動を制限しているのかが重要なのだと感じます。

自らで行動の制限を選択しているにも関わらず、自粛してやっている側の身勝手な被害者や、都合の良い正義感で他人の行動を制限しようとする人が現れます。もうこの時点で「自ら進んで」という重要なポイントがどこかへ消え去ってしまっているのです。しかしこれは一概に個人の意識だけの問題ではなく、国が国民の行動を強制できないことと、一部で不安を煽るようなメディアによる情報発信がされていることが大きい原因と考えます。

だから、政府や自治体からは「本当に危ねえからお前らが感染しないように、感染させないように外に出んじゃねえよ」とは言えず、「自粛してください」というお願いになるのです。補償が明確になっていないのに命令ができないと考えるのは日本人の美しくもあり難しいところでもあるとは思いますが、これは今の世の中の流れを考えるとこうするしかないようにも思います。ただ、人は頼まれると少し自分が優位に立てた気がして気分が大きくなる生き物で、それゆえに上記のような勝手な人が現れてしまうのだと考えます。

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そもそも言葉の意味について理解せずとも、何となくの形の無い話で成立する場所が多いことも、間接的な原因ではないでしょうか。角が立たないように曖昧なニュアンスで受け答えをすると、お互いに自分の都合のいいように捉えてしまうため、ビジネスの上でも言った言わない問題になったりするのです。やはり、言う時は言うことが、こういう大事になった時の言葉の違和感を少しずつ緩和させるのかな、と私は考えます。

概念が凝り固まって色のついたメガネを捨てて、正しいことを正しく受け取ること、そして「私は正しい方を選んでいる」と心から思えるような選択をしていきたいですね。

少なくとも私は最大限のケアをしながら生活を続けることはもちろんですが、この状況が悪いことしか生まないとは思っておりません。そもそもこのブログを始めたのも、コロナで陰鬱なムードが漂うこの国に何かできることはないかという想いで立ち上げたまでです。まぁ私のような平々凡々な庶民には大きな声で届けられることなど少ないのかもしれませんが。ほんの少しでも、このブログの記事を読んでくださる方が気分を楽にしていただければと思っております。

そして、一刻も早くこのウイルスの騒動が収束する事を祈っています。元気でいれば来年も再来年も春はやってくるのですから。前向きに行きましょう!

それでは、また!!

 

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