「見た目」と「中身」の重要性
こんばんは。
6月に入り、札幌も一気に夏の様相となりました。快適な夜を求めて夏用のパジャマを引っ張り出したナスビ丸です。
「人は見た目が9割!」
そう言われたこともあるかと思います。
学校や仕事、恋愛において、人間の直感を刺激するもので、人間関係において、見た目というものは大きなウエイトを持っています。
特に見た目でネガティヴな判断をされることが、何よりも悲しくてなりません。
ですので、人はきちんとしようとするのです。
きちんと。
きちんとって、何でしょうか?
ビシッとスーツにヘアセットもバッチリ決まった人や、派手すぎず暗すぎず、TPOを弁えた衣服を選んで明るく人当たりの良い表情を見せる人がきちんとしているのでしょうか。
逆に、髪はボサボサ、顔はだらしなくて服もヨレヨレな人を見てどう思うのか、という話ですよね。
ここまでが第一印象の、「見た目」の話。
表では綺麗な言葉を並べて、いつも明るくて元気な人!
と言っていても裏では何をしているか、どんな話をしているのかはわかりませんよね。
外見は人を判断する重要な要素のうちの一つであることには間違いありませんが、「人は見た目が9割!」という固定概念が冷静な判断を鈍らせ、結果的に悪いことに導かれてしまうこともあるかと思います。
社会人になってから、外見で判断されるシーンに出くわすことが増えました。
得意先の会社の上司は過去の経験も含めて、外見を非常に気にする方もいました。
もちろんその矛先が私に向くこともあります。身なりはきちんとしなくてはならないと思っていました。
しかし私はいまいち納得がいってませんでした。外見で区別することは、主観による判断だなと感じていました。そして、外見だけで判断する人は、常に適切な選択をできているのだろうか、と考えるようになりました。
私自身は外見で判断したくありませんし、されたくありません。もちろん、それにふさわしい身なりや言動を意識しているつもりです。
どのようにすれば認めてもらえるのか、それは自分の中身をはっきりと相手に示すことなのだと気付きました。
包み隠さずにまっすぐに、相手のために意見を伝えると、納得した上での人間関係が構築されます。
見た目だけで判断されていると思っていたのは、実は私が中身を見せられていなかったからなのです。
長く生きている人ほど、人を極めることに長けている方が多いことは、そういった理由があるのかもしれません。
見た目で判断しているのではなく、人間を表す要素の一つとして、「見た目」と「中身」を分析して判断を下しているのです。
自分自身に向けて考えてみるといかがでしょうか。
見た目で判断している時は、中身を出せていない時です。
こちらが中身を出すことができれば、相手もそれに呼応するように出してくれるようになります。
自分から相手に寄り添うことで、相手のことが少しずつ理解できるようになります。
互いに良好な人間関係を築いていくためにも、こういった努力が必要なのかもしれませんね。
それでは、また。
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