夢はもう見ないのかい?
こんばんは。最近ベッドを新しくしたのですが、週に3回は落下して夜中に目が覚めるナスビ丸です。大抵そういう時には山とか坂道から転げ落ちる系の変な夢を見ているので一人できっとでかい寝言を叫んでいることかと思います。近隣の皆さま深夜に申し訳ございません。
夢はもう見ないのかい
明日が怖いのかい
諦めはついたかい
バカみたいに 空が綺麗だぜ
こちらはHump Backの『拝啓、少年よ』という曲の歌詞です。Hump Backについては以前に朝イチMusicでも少し紹介しました。その時は別の曲でしたが。
この曲、実はめちゃくちゃ好きなんです。実はとか言わなくても好きだから記事にしてるんですけどね。
彼女たちの曲はとにかくメッセージがどこまでも真っ直ぐ。だからこそ聴いていて自然と勇気が溢れるような気持ちになるのです。
Hump Back - 「拝啓、少年よ」Music Video
夢はもう見ないのかい?
そう言われてまた、俺はもともと何をしたくて生きていたのかとハッとさせられます。
もう見ないのでしょうか。夢。
別に明日が怖いわけではなく、ただ夢を見るのが怖くなってしまう自分は歳を重ねるごとに現れ出しました。
諦めがついたわけでもありません。いつかは自分も、とそんな淡い思いだけを握りしめてここまで歩いてきたのです。ろくに出口の見えない道を、ひたすら歩いているのです。紆余曲折あってたどり着いた今はまだ道半ばで、きっと歩き続ければ終着点が見えてくると信じているのです。
信じているだけで叶うなんてそんなことはこの世にあるはずもありません。
願いが全て叶うのならばこの世に争いなどは起こらないのです。
叶わないからこそ人は夢を見て志を高く持ち、わからないからこそその夢のために力を注ぐことができるのです。
夢はもう見ないのかい?と曲の中で問われた私は、何もできていない自分への歯がゆさともどかしさに胸を熱くさせられました。
見ないのではなく自分から見えないように遠ざけているのです。
夢を見続けるといつしか悪夢に変わってしまうことを恐れているのです。
綺麗な夢のままで置いておけば、いつしかその夢が叶わないことを知った時に「あの頃は本当にいい夢を持っていたなあ」と良い表情で息子にでも話すことができるからです。
それで良いわけがない。
他人だけでなく自分にすらカッコつけて諦めるフリして生きていくのが言い訳がないと思います。
やりたいならやれば良いのに、変に気取ってしがらみを自分で見つけて、自らを縛り付けてくれる都合のいい意見をくれる人を勝手に大人と読んで尊敬して、
そういう風に生きていて楽しいわけがなかったのです。
それに気づかせられる挑戦的なこの曲。
夢はもう見ないのかい
明日が怖いのかい
諦めはついたかい
バカみたいに 空が綺麗だぜ
見上げた空はバカみたいに綺麗でこちらを見て笑っているのです。
無様な姿を見せられない無様な私に対して、底抜けに明るい笑顔で笑うのです。
そんなものに負けてたまるかと握りしめた拳には、どんな大きさでも形でも構わない、私だけの等身大の夢がありました。
これを話さないように、いつか自分の手でも持ちきれないくらいに大きくして、みんなでそれを支え合えれば、きっとその夢の先にある喜びをつかむことができるはず。
そう信じてできることから。
まずは手の届く範囲を幸せにしていきましょう。
この曲をふと聴いてそんなことを思いました。
遠回りくらいがちょうどいいんだよ!!
たまには自分に強く言ってみます。それでは、また。
58/100