「足るを知る」ということ
こんにちは。
わがまま・欲張り・自分勝手の三拍子揃ったアラサー、ナスビ丸です。
自分の欲求のままに生きている人は動物だと思ってますが、もちろん私が一番動物に近い本能型クズと呼び声が高いことは有名な話。
書いてて悲しくなりますね。
自暴自棄になって書いている訳ではありません、誰でもそういう所があると思うのですが、
「足るを知る」
この言葉をご存知の方も多いと思います。
中国の思想家、老子の言葉として知られており、正しくは「足るを知ると、富む」
という言葉。
無いものを求めるよりも、足りているもの(今あるもの)を考える方が、より豊かな発想で生きていけるという意味だと思っています。
よく言いますよね、無い物ねだりだって。
特に最近は、個人が自由に自慢できる時代です。
SNSなんか見てても思います。
キレイな写真を上げている人は、「私ってこんな上手に写真撮れるんだぜイェーイ!」という本音が隠れているし、
美味しそうなご飯を上げている人は「おいらグルメだから良いご飯屋さん知ってるんだぜイエーイ!」という本音が隠れていると思っています。
そうして自分で承認欲求を満たすようにしていると思うのですが、これは別に何らいやらしいことでもなく当然のこと。自己満の世界です。基本的には自分が良く見えることしか上げませんから、
ただこの自己満他の人から見ると羨望や嫉妬に映る事があります。
「あーまた美味しそうなご飯行って、私は毎日忙しく生きているのに!」
とか
「また自慢げに綺麗な写真ばっかあげて、こっちは子供の世話で大変なのに!」
とか。
無意識に思ってしまう事、あると思うんです。
これも人間らしくて自然なことではあると思うのですが、こういう思いを抱いた時に、ふと自分の生活を見直してみることも大切では無いでしょうか。
毎日忙しい人は、暇な人よりも無駄では無い時間を過ごせているはず。
子供の世話で大変な人は、子供がいる喜びも同時に感じられているはず。
隣の青い芝を見つめるだけではなく、自分の居場所に目を向けて、足りている部分を幸せに思えるように生きていきたいです。
今日はそんなしっとりとした思想強めのお話でした。
昨日の妄想話と温度差ありすぎて風邪引きそう。。。
欲求をセーブして満ち足りた毎日を送れるように日々精進してまいります。
それではまた。